15年連れ添った猫とお別れした話

2018年3月28日

15年連れ添った猫

※この記事は私が15年連れ添った猫とお別れした内容です。これから猫を飼おうとしている人や、今猫を飼ってる人には辛い話もあるかもしれませんのでご留意ください。

猫と15年連れ添った

15年ほど前、僕は実家が居酒屋をやっていたこともあって、昼間はweb系の仕事をフリーでしながら、夜は居酒屋の手伝い、また深夜にweb仕事をするという、結構頭のおかしい働き方をしていた時期だったのですが、その時に我が家にやってきたのが15年間を共にする子猫でした。

そもそも僕の両親は猫が嫌いでした。そんな僕の家でも、居酒屋に来てくれる常連さんからのどうしてものお願い、ということで子猫をもらうことになったのです。常連さん曰く、常連さんのご両親のご夫婦で今飼っているんだけど、お爺さんが痴呆なども相まって、猫を虐めるので、置いておくのはお互いよく無さそうだ、ということで引き離し、里親を探しているとのことでした。

両親は嫌がりましたが、僕はちょっと癒やしが欲しかったこともあって、この子をもらい受けることになったのです。

キャリーに入れられて我が家にやってきたその子は、キャリーの中で激しく震えていて、今までの環境が辛かったことが忍ばれました。
部屋の中でキャリーから出してあげると、部屋中を暴れまわり、タンスの裏の狭く暗い空間を見つけると、そこに入り込んで全く出てこなくなりました。人間嫌いストレスが凄かったのでしょう。

そこから数日は無理に出したりはせず、ご飯とトイレをタンスの近くに置いておきました。朝になるとご飯が減っていたりするので、ひとまずは安心。
翌日以降も数時感起きに、おやつやおもちゃで気を引きつけようとしてみますが、なかなかやはり出てきてくれません。

しかし数日も経つと、日中おやつを食べに出てきて触らせてくれたりと、少しずつ距離が縮まり、同じベッドで寝てくれるまでになりました。

名前はソーニャと名付けました。最初に大暴れした時にソニーのノートパソコンとデジカメをひっくり返した印象と、たまたまその時に読んでいたマンガ雑誌に出てきていたキャラクターの名前が頭に残っていました。
おそらく前に飼われていた時は別の名前で呼ばれていたのでしょうが、もう一度生まれ変わった気分で楽しく生きてもらうための、新しい名前でした。

半年も経つと最初のサカリの時期がやってきて、さすがに近所迷惑になるぐらいの大騒ぎだったので、避妊手術をした以外は病気や怪我も少ない子でした。

当時は実家ぐらしだったので、田舎の家でしたから、目を離したスキに外に出ていって半日くらい遊び回ってくることもありました。回りが畑などに囲まれていたので、なかなか見つからず「車に撥ねられたんじゃ…」と思いながら探し回ったことも思い出です。

10年ほど前に、僕が仕事の関係で都内で一人暮らしをする時には、一応猫が飼えるマンションを選びました。とはいえ、猫は家に根付くという話もあるので、無理に引越しをさせるのも可哀想なので、まずは僕だけが引っ越しをしました。

引っ越してから1週間ぐらいすると、母親から「ソーニャが全然ご飯を食べなくなった」という話を聞いて、実家に様子を見に行ってみると、いつもどおりに元気に振る舞ってご飯も食べていました。しかし僕が実家を離れると食欲が落ちるという。

未だにこれは自分でも半信半疑なのですが、ある日「ソーニャが涙を流してる」という母親からの電話で、その日のうちに実家に戻り様子を見ました。泣いていたのかはわからないのですが、元気をなくしてるのは明らかで、僕が引越してから1ヶ月くらいで東京の狭いマンションへとソーニャも引っ越すことになりました。

今まで自由にかけ登れていた階段も廊下もない狭い家では、ソーニャは日がなゴロゴロする落ち着いた性格になりました。

実家にいたころは、ゴキブリやムカデが出るような田舎だったのですが、ソーニャが来てからはゴキブリなどを見つけると大喜びで狩りを始めるかのように遊んで、ストレスの発散にもなっていたのですが、東京の部屋では虫一匹出てきはしないので、それはそれでつまらなさそうにも思えました。

それにマンションの11階という環境では、窓を開けるのも注意が必要だったのですが、年々と窓の外にも興味を示さなくなり、ソーニャはゆっくりと歳を取っていっているように思えました。

大きな病気は一度だけ

ソーニャが大きな病気をしたのは一度だけ。
何やら座ったまんまお尻を床にこすりつけるような動作をちょいちょいするようになって、その見た目がユーモラスで可愛いと思っていたのですが、その動作をし始めて数日。こすりつけていた床に血のような後が残っていました。
慌ててお尻を見てみると、お尻のあたりに大きなコブのようなものができて、それが破裂して膿が出ている状態でした。

翌朝、朝イチで病院に連れていくと、「猫のお尻から匂いの分泌物が出る肛門腺という部分が詰まってしまって、肛門嚢が破裂した」というお話でした。ソーニャは数日間入院することになって、ソーニャがいない部屋が異常に寂しかった思いと、毎日接しているのに異変に察知してやれなかったことが悔やまれました。

退院してから数日は、抗生剤を飲ませないといけないのですが、小さな錠剤も嫌がって飲んでくれません。猫に錠剤を飲ませるのはなかなか難しいのですが、当時は初めてでやり方もわからず、餌に混ぜて飲ませようとしたのですが、キレイに錠剤だけ残すような賢い子でもありました。
ただ大好物の韓国のりに包んで飲み込ませたら、気付かず飲んでしまう油断する部分も持っていた子でした。

エリザベート

患部を舐めないように付けられたエリザベートは大嫌いだったようで、取ろうとし過ぎて首の皮膚に擦り傷できてしまうくらいに、外そうともがいたりもして、もうこんな思いはさせたくないなぁと思ったものでした。

震災の日

東日本大震災の日。僕は地震発生時は職場で仕事をしていました。
帰宅命令が出て、職場から4時間くらいかけて自宅にたどり着くと、11階という高さが影響しているのか、玄関の靴箱棚や冷蔵庫の上に乗せた電子レンジが床に倒れていました。

自分の部屋がメチャクチャになっている驚きよりもソーニャがどうなったか?慌てて部屋の中に駆け込むと、普段は鍵をかけていない、ベランダに繋がる窓が半分ほど空いていました。高層階かつ最上階ということもあって、防犯意識もあまりない僕は普段から窓の鍵はかけていなかったので、地震の揺れで重いサッシが空いてしまったのでしょう。
ベランダは胸ほどの高さまでの囲いがありますが、それを超えれば11階下まで転落してしまいます。
「驚いてベランダに飛び出してしまったんじゃ…」と、最悪な想像をした時にベッドの下から鳴き声がしました。ソーニャはベッドの下で震えながら小さく壁に身体を寄せていました。

「助かっていてくれてよかった」という思いと、防犯だけではなくソーニャのためにも鍵の閉め忘れや、家具の地震対策をしなければ、、と強く思った出来事でした。

ソーニャが一番泣いた日

その部屋には7年ほど住んだのですが、手狭になってきたことや、会社が移転する予定が発表されることもあって、1駅だけですが引越しをすることになりました。
今度の部屋は駅からは離れていて、最近の都市型のマンションではない分、部屋の広さは十分にあります。

引越しの当日、荷物をどんどんとトラックに詰め込む中、邪魔にならないように立てかけたベッドの上にソーニャがずっとずっと乗ったまんま外を眺めていました。

15年連れ添った猫

狭くて家賃が高い部屋でしたが、直近に高い建物が少なく眺望だけはよくて、池袋のサンシャインや、スカイツリーまで見ることができる部屋でした。
たまに夜1人で缶ビールを飲みながらボーッとベランダで風景を眺めていたのですが、ソーニャもきっとこの景色をずっと楽しんでいたのかもしれません。
そして、多分2度と見られなくなる景色ということもわかっていたのかもしれません。
結局最後にベッドを動かすタイミングまで、ソーニャはここを動くことはありませんでした。

いよいよベッドを動かそうと、ソーニャを抱こうとすると、普段出したことのない唸り声を上げながらベッドにしがみついています。見慣れない引越しの人間に、次々と運び出される荷物などから「何か良くないことがある!」と思ってしまっていたのかもしれません。
シャー!と威嚇の声をあげながら懸命に嫌がります。それでも時間がない中なので、強引に抱きかかえると、今まで一度も聞いたことのない声で泣き叫びました。
心が痛かったです。
狭くてつまらないだろうな、と思っていたこの部屋も、ソーニャにとっては思い出のある部屋だったのかもしれないのですから。

興味津々
着いてみたら新しい部屋の外も気になる

吐く回数が増えてきた

もともと猫は定期的に吐く生き物で、ソーニャは特に子供の頃からゲッゲゲッゲとよく吐く子でした。それが2016年の秋口ぐらいから、「それにしても…」と吐く回数が増えてきて、ネットで調べてみると、高齢の猫はキャットフードが合わなくなってくることで吐き気が増えるという話を知りました。

そこで大好きだったモンプチのカリカリをシニア用に変えてあげると、少し吐くペースが治まり一安心しました。と同時に14歳という年齢を考えると、もうすっかりお婆ちゃんなんだなぁとしみじみ思った、少し寂しい秋でした。

しかし年末ごろから再度吐く頻度が増え、今までは液状だった吐いたものが、キャットフードの原型がそのまま残っていたりするようになって、年明け早々に以前に手術をしてもらった動物病院に連れていきました。

血液検査の結果は消化器系の数値が良くないということで、一週間程度投薬してみて、来週もう一度見てみましょう、という話でした。
胃潰瘍的な胃腸の弱りとかそういうことなのかなー、と思い一週間お薬を飲ませて、翌週精密検査をしてもらったところ、消化器近くに悪性のリンパ腫ができている、ということでした。

この先どれくらい生きられるかはまだわからない。完治して長生きする子もいるけど、治療してみないことには何とも言えない。
そういった説明を先生からいただきました。半分くらいは頭に入らず、もうすぐお別れすることになるかもしれない、、ということだけが頭をグルグルと駆け巡って、しばらくは頭がボーッとする日々を過ごしました。

最後の思い出は闘病生活

ボーッとしつつも猫の闘病生活は大変でした。朝から複数種の薬を飲まさないといけないのですが、錠剤も最初のうちは上手く飲ませられず、粉薬も注射器で口から水に溶かして飲ませるのですが嫌がって全然飲んでくれず。
先生に相談したりネットで検索したりして、スープ状のおやつに粉薬を混ぜて注射器で飲ませると、よく飲んでくれるようになったり、錠剤の薬も怖がらずに喉のなるべく置くに入れてあげた方が飲み込みやすいらしく、そういった部分を日々学びながらの生活。朝も投薬のために1時間以上早く起きるようになりましたし、仕事中も家の様子を見守れるようにネットワークカメラを買ったりしました。

とはいえ、毎週末は病院に行き1日潰れ、平日も朝夜の投薬で僕自身も倒れかねないほどの目まぐるしさで、あっという間に日々は過ぎていきました。
毎週末の血液検査の結果は一進一退。特に投薬での成果が見えにくいということで、抗がん剤治療を受けることになりました。
しかし抗がん剤が身体に合わなかったらしく、退院してきた日の夜に震えが止まらなくなり深夜の緊急外来へ行ったり、衰弱が激しい時期は数日間入院して点滴で元気をもらったりして、必死に生きながらえてくれました。特に抗がん剤治療の後は、感染症の危険から猫の治療ではあまり行わない輸血治療にまで至ってしまい、ソーニャも最後の必死の頑張りで命を繋いでいたと思います。

動物病院の先生

僕もソーニャも幸せだったのは、とても良い動物病院の先生に出会えたことだと思います。
毎回の血液検査の結果も、一つ一つの数値の意味や、変動している推察などを事細かに説明してくださって、人間の病院なんかよりも丁寧に診てくださってる感じがありました。
その病院はグループ院がいくつかあって、深夜対応もしていたのですが、前述の深夜につれていった時は、いつも通っているところではないグループ院を指定され、病院について当直の先生に様子を説明していると、普段着の姿で担当の先生がいらっしゃって続きを観てくれたりしました。時間は0時に近かったので、想像し難い感謝しか覚えず、獣医さんのお仕事がこれほど過酷なのかとも思いました。

最後の入院生活

2月も過ぎてソーニャの症状は週単位で悪くなり、数日入院の回数も4回目を超えた3月11日の土曜日。毎週の血液検査の結果が著しく悪くなっていて、先生からも「少しでも異変を感じたら土曜をまたずに病院につれてきてください」というお話をされ帰宅。翌日の12日の日曜日は少し体調も良さそうだったので、僕の髪を切りに2時間ほど夕方に家を空けて戻ってくると、ソーニャはうずくまりながらも耳がピクピクと痙攣のような震えているような状態になっていて、慌てて病院に直行しました。
病院ですぐに診てもらっている最中に、大きく発作のような動きを起こし、すぐに治療室に連れて行かれてしまいました。

ただその瞬間も先生が発作を観た瞬間にソーニャを抱きかかえ、「エマージェンシー!」と声を上げて治療室に駆け込むと、その他の診察中の先生もすぐに診察を中断して治療室に向かっていて、改めていい病院を選べたんだな、ということと、「エマージェンシー」という緊急なことがソーニャの今の状態なんだな、ということが頭の中をぐるぐるぐるぐるとしている状態でした。

15分程度だったかと思いますが、先生が診察室に戻ってきて、点滴を入れて落ち着いてくれたけど今は完全看護の状況下が安全なので入院させてあげたい。平日の日中に発作が起きる可能性も高い、というお話を聞いてもちろん入院させていただくことになりました。

入院時には同意書を書くのですが、今回は改まったかたちで先生から「ここの心肺蘇生の同意ですが、ご了承いただけますか?」と尋ねられました。記載の内容は入院中に緊急な事態が起きて心肺停止となった場合、蘇生処置をするか?という同意項目です。今まで深く考えず同意のチェックを入れていたのですが、今回は先生から改めて説明をされました。
さっきの発作の様子を見て混乱が残っていた僕は「正直わからないです。もしダメならあまり長く辛い思いをさせるのもどうなのか…」と整理のつかない話をしました。
先生は丁寧に僕の話を聞いてくれて、「これは入院時の万が一を指した項目なのですが、さっきのような発作の後でショック症状で心肺停止になってしまうこともあります。その場合の緊急対応ということになるので、楽にさせてあげたい、というならそれも一つの選択肢です」といったお話をしてくださり、結局僕は緊急対応をお願いする方で同意させていただきました。
やはり万に一つの可能性があるならすがりたい思いです。

お別れの日

入院中は先生から小まめにお電話をいただけました。どういう様子なのか、どういう治療をしたのかを小まめにご報告いただけて、その電話だけが待ち遠しい状態でした。翌日13日の月曜は入院初日でまだ薬の影響で少しボーッとしてるけど、体力が回復してきている、というお話でした。14日は仕事帰りに直接様子を観に行かせてもらい、点滴を打たれながらぶーたれた顔をしてるソーニャと直接触れ合うことができました。点滴を受けながらもちゃんと僕の顔を見てくれて「見ての通り身体ダルいんだわ」と言っているように思えました。
10分ほど面会して明日の15日水曜は担当の先生がお休みだということだったので、直接面会はまた明後日に来ます、と伝えて帰宅しました。

3月15日。朝にまた別の先生から様子のお電話がかかってきました。だいぶ体力は戻りつつあるので、週末待たずに退院できるかもしれない、というお話をいただきました。
頑張れよーと思っていた数時間後、お昼時に病院からまた電話があり「さっき発作が起きたのでさらに注意深く見守らせていただきます」というお話でした。
夕方18時頃、職場で会議をしていたところに病院からの電話がありました。「つい先程強い発作が起きてショック状態で呼吸が止まりました。急ぎ人工呼吸器に繋いでいますがすぐに来ていただくことは可能でしょうか?」と言われました。
職場の上司に途中抜けすることを伝え、急いで病院へ向かいます。最寄り駅に付いた時に、一瞬頭が空っぽになり、「あ、、びょーいんついて、そーにゃしんじゃったら、おれ、なくんじゃないかな? なくのにはんかちとかもってないぞ?」みたいなことが浮かび、急いでいるのに駅のキオスクでハンドタオルとポケットティッシュを買いました。キオスクのおばちゃんが訝しげに僕の顔をチラチラ見てきたのですが、僕はすでに何故か泣いていたようです。

駅から病院までは走って5分くらい。病院につくと治療室にそのまま案内されました。
治療室の中はテレビで見る、人間の病院の手術室のようで、ベッドに寝かされたソーニャに色んな管が繋がれていました。心拍や呼吸数がモニターに表示されて、どれも素人が見てもわかるような危険な状態を知らせるアラートのようなものが出ています。
看護師さんが「今、○○先生も向かってます」と担当の先生の名前を告げます。常時1人の先生と1人の看護師さんがソーニャの様子をつきっきりで見ています。

先生が状況を説明してくれました。「2時間ほど前に強い発作が起きて人工呼吸器を入れました。そこから他の数値もどんどん弱くなってきています。詳細は担当よりご説明しますが、断定はできませんがこのまま自発呼吸が戻ることはないと思われます。。」と。
また新たに別のアラートの音が鳴り、先生が駆け寄り別の点滴を投与し始めました。

「もういいよ。。。ソーニャそんな頑張らなくても。。もう苦しいだけだろ?」

頭の中でそんなことを考えながら呆然と立ち尽くす僕の周りを、先生が慌ただしく動き回っています。

1人の看護師さんが「もしご家族がいらっしゃるなら今のうちに御連絡を…」と言ってくれました。僕は「いえ、大丈夫です…」とだけ答えて、ただただ立ってソーニャの背中を見続けていました。

しばらくして担当の先生が来て状況を確認していました。
看護師さんが「触ってあげても大丈夫ですから、触ってあげてください」と声をかけてくれました。頭を撫でてあげると異常に身体が熱くなっていました。声をかけようにも何も頭に浮かばず声も出ない状況で、ただただ泣きながらソーニャの頭をなでていると、看護師さんが氷嚢のような身体を冷やすものを交換しながら、「良かったねーソーニャちゃん、パパ来てくれたからもう大丈夫だねー」とソーニャに語りかけました。

その瞬間、ソーニャが大きく咳き込み始めました。
看護師さんが鋭く「自発呼吸出てます!」と先生に呼びかけ、すぐに先生が確認し人工呼吸器を外す処置を始めました。

何でソーニャそんな頑張ってくれるんだよ。。
奇跡とかそういうのは全く信じてない僕ですが、この瞬間は本当に奇跡だと思って嗚咽が止まりませんでした。

病院についてから1時間以上立ちっぱなしの僕を気にかけてか、看護師さんが「処置が終わるまでだけでも座ってお休みください」と診察室の方に案内してくれました。もう他の患者さんはいなくて、ロビーも薄暗くなってます。

診察室で少し休んでいると、先生が入ってきました。
「ご覧いただいた通り、先程ソーニャちゃんの自発呼吸は戻りましたが、意識があるとは思えない状態です。呼吸も弱いのでじきにまた呼吸器を繋ぐ必要があると思います。おそらく今晩を越せるかどうかもわからないです。そのぐらい衰弱してしまっています。人工呼吸器に繋いでいる以上、今晩を越すことはできるかもしれませんが、意識が戻ってくるとは言いづらい状態です。仮に意識が戻ってきたとしても、耐え難い苦痛がソーニャちゃんを待ってる状態です。
ここまで頑張ってくれたソーニャちゃんを前に辛いご提案になってしまうのですが、ここで楽にさせてあげるというのが良いのかもしれません。。
今夜は越せないと申しましたが、幸い今は小康状態を保っていますので、私は少し退席しますので、どうなされるか一度ご検討いただいてもよいでしょうか?ご家族や親しいご友人などにご相談されたり、お呼びいただくのも問題ありませんので」
といって先生は一度部屋を出て行かれました。

決断は済んでいます。もう十分に十分過ぎるほどにソーニャは頑張ってくれて、これ以上1秒だって辛い思いはさせたくない。でも、、

この自分の中でも今でも答えの出ない「でも、、」ということが頭を駆け巡りました。

例えばこれが自分自身があそこに寝ている立場だったら、もう楽にしてください、と言うと思います。苦しいの嫌だし。まぁ今すぐ死んだとしても十分生きたよな、とも思えるし。
これが両親だったら?本人の意思が確認できるようだったらそれに従うし、意思が確認できないようであれば、おそらく「楽にしてやってくれ」と言えると思います。オヤジもオフクロも最後はちゃちゃっとやってくれ!なるべくポックリ死にたい、とか昔から言ってましたし。仮に本人だけに意識があったとしても「まぁもう息子がそうしろ、っていうなら仕方ないか」と思ってくれるでしょうし。

でも、15年間も一緒に過ごしたソーニャが今どう思ってるのか、全く想像もつかない。これが僕の中での「でも、、」だったと思います。
結局今でも答えはわかりませんし、一生かけて考えていくことなんだと思いますが、「ソーニャたくさん頑張ったし、もういいよね」という自分の思いの通りにすることにしました。

戻ってきた先生に「もう楽にしてあげてください」とお願いしました。先生はもう何も言わず頷き、準備を始めました。

ソーニャの頭を撫でながらまっていると、一本の注射を持って先生がやってきました。
「この薬を入れたらすぐに心臓が停止します」
そして先生は急かすこともなく、最後の時間をくれました。
最後に耳元に「ありがとう。ずっとありがとう」とだけ伝えました。その後は嗚咽が止まらず、ただ身体を撫でていました。
多分1分も経っていないと思いますが、「…もう大丈夫です」とだけお伝えしました。
最後はソーニャの手を強く握りしめました。熱い手がピクピク痙攣しています。お腹も早いペースで呼吸を繰り返しています。

「それでは薬を入れます」
と先生が言うのを聞いて、より強く手を握ります。
「今、ソーニャちゃん、旅立ちました」
数十秒程度でした。でもまだお腹がハァハァと動いてる。。
「まだ筋肉とかが反応していますが、心臓も呼吸も停止しました。
ソーニャちゃん、長い間ホント頑張ったね」
先生の目が多少潤んでいました。看護師の女性も泣いています。

動物病院ってこういうことは日常なはずなのに、ソーニャのことをこんなに惜しんでもらえてるということに、今ソーニャが旅だったこと事実よりも、そちらを気にしてしまいました。

「ちょっとソーニャちゃん、身体をキレイにしてあげるので、診察室でお待ちいただけますか?」
そういって僕は診察室に戻され、ようやくようやく少し落ち着くことができました。
15分くらいでタオルにくるまれたソーニャが戻ってきました。
ちょっと痩せてしまったけど、顔も身体もキレイに整えてもらったので、お風呂上がりみたいな顔してます。あれ?目が開いてる。

「先生、目は閉じてあげないんですか?」
「あ、、ネコちゃんの飼い主さんは開けたままがいいという人が多いんで、パッチリにしてあげちゃいました。瞑らせてあげましょうか?」
生き物は死んだら目を閉じてあげるもの、という考えが僕の中であったのと、目があっているようであっていないという事実が辛かったので、目を閉じてもらいました。
目を閉じてもらって、再度戻ってきたソーニャを先生と一緒にケージに入れていきます。
「ようやくお家帰れるねー」と先生はソーニャに語りかけてます。
「段々と身体が固まってくるので、お家に帰ったらケージから出してあげて、落ち着いた体制にしてあげてください」と言われます。

最後に先生が「ソーニャちゃん、ホントに長生きしてくれた良い子だったと思います。もともと野良の血統ということですから、凄く長生きしたんじゃないかと思います。これもずっと家族のようにかわいがってあげてくれていたからだと思います。
一方でもっと早く腫瘍が見つかれば手術できたのか?と言われればわかりませんし、抗がん剤の治療が寿命を早めてしまったかもしれませんし、輸血のせいもあったのかもしれません。今回本当にソーニャちゃんのためにベストな治療ができたのかと言われたら、僕が未熟で至らなかったことでソーニャちゃんを助けてあげられなかったことは本当に獣医師として申し訳なく思います。
ただソーニャちゃんをずっと看病されてたご主人さんが今一番お辛い状況だと思いますので、まずはソーニャちゃんを弔ってあげながらも、ご自身の体調とかを労ってください」

先生は時々言葉を詰まらせながらも、最後は僕の心配までをしっかりしてくださいました。本当に良い病院にかかれてよかったと未だに思ってます。
「タクシーご用意されますか?」と看護師さんに言われましたが、時間ももう気づけば21時近く。長居するのも申し訳なかったので、「一緒に歩いて帰りますから大丈夫です」と告げて、病院を出ました。
病院の前まで先生が出てきてくれて、深々と頭を下げて見送ってくださいました。
病院の前は幹線道路なので、タクシーは結構走っています。ただ振り返ればまだ頭を下げたまんまの先生がいらっしゃって、なんだか申し訳ない気持ちになり、病院から50mほど離れた先にある、曲がる必要のない小道に入って先生が院内に戻られるのを待ちました。
角を曲がって1分くらい待ってから幹線道路に戻ると、先生はまだ深々と頭を下げたままの姿勢で立っていました。
ケージの中のソーニャに「ホントいい先生に診てもらえてよかったよなぁ」と話しかけ、そのまま小道を抜けて家まで歩いて帰りました。

出発の日

家に帰って、テーブルの上にソーニャの好きだったバスタオルを敷いて、ソーニャをそこに寝かせてあげました。
身体にもタオルをかけてあげると、いつもの寝てるソーニャそのままで、久々に気持ちよさそうな顔して寝ているようにしか見えません。

テーブルの前のソファーに腰掛けると、一気に身体に疲労感のようなものが出てきました。
一休みすると今度は異常にお腹が空いている事に気が付きます。よく考えればこの日仕事も忙しくて昼ごはんも食べてなかったので、この時間まで何も食べていません。
それに考えてみれば、人間だったら家に帰ってきたあとは、お線香とかお供えするものだし、、と近くのスーパーに買物に行き、何故かお寿司を書い、合わせてソーニャの大好物の韓国のりと、お花とお線香を買って帰りました。

お花を添えてあげて、お線香も立てる容器もなかったので、いつもソーニャがご飯を食べていた器にキャットフードを山盛りにしてお線香を立て、最後の一緒の晩餐をしました。
元気だったころは僕が家でご飯を食べる時は、ソーニャはいつもテーブルの上に乗ってきて、黙って座っていました。人の食べ物には手を出さない、聞き分けの良い素直な子でした。

顔を見てるといつまでも思い出が止まらないのですが、急に旅立ってしまうとか考えてもいなかった、というよりも考えないようにしていたので、何も準備もないことに気付き、取り急ぎ会社の上司に「先ほど亡くなったので明日だけお休みもらいます」というメールを送っておきました。
普段、勤怠連絡に返事とかしてこない上司なのですが、「こういう時なんで仕事のことは気にせず、落ち着くまで数日休んでくださいね」と即レスで戻ってきました。ありがたい話です。

次にソーニャの亡骸をどうしたらいいか考え始めました。
実家の庭に埋めてもいいけど、将来的に実家売り払ったりすること考えたら、ちゃんと火葬してお墓に入れてあげたい。でも今日明日とかでお墓とか見つかるんだろうか?
とかとかいろいろ考えて、まずは火葬だけしてもらってお骨にしてからお墓はゆっくり探そう、と火葬業者を探すことに。さっき旅立ったばかりですが、なんだか忙しない。というよりも、現実逃避的に作業をしていた気がします。

ネットで探すと火葬業者がわっと出てくるのですが、同じくらい「ひどい業者でした!」とか「相場よりも全然高い!」とかそういう口コミサイトも出てきます。

飲食店とかであればコスパ重視!とか考えるのですが、話は全然違うわけで、自分の中ではもう価格とかはどうでもいいから、丁寧なところを探そう、と良い評判が多く見つかったジャパンセレモニーさんという会社にお願いすることにしました。もう遅い時間でしたが電話受付できたので、翌日の昼過ぎに来ていただくことにして、これでようやくソーニャも僕も落ち着ける状態になりました。

と、さっき買ってきたお寿司を食べながら、少し落ち着こうとお酒を飲んでいたのですが、ここで一升瓶が空になっていることに気付き、全く酔っ払ってない自分に驚きつつも、とはいえ、先生の言う通りここで自分が倒れたりしても困るので、ベッドの隣にソーニャの寝ているテーブルを持ってきて、最後の夜を過ごしました。

翌日、火葬の予約時間の1時間くらい前に、確認の連絡の電話がかかってきました。とても丁寧な対応をいただいて、予定通りの時間に来てもらって大丈夫です、とお伝えしました。
一緒に荼毘に付してもらえるのは当然燃えるものでなければならないので、好きだったご飯とおやつだけを用意しました。あまりおもちゃとかでも遊ばない子だったので、思い入れがある、というとでかいバスタオルとかキャットタワーとかになってしまうので。

そろそろ予定の時間が近づいてきたので、ちょうど家にあまっていた、Amazonのダンボールにソーニャを移動させます。完全に身体が固まってしまっていて、色々考えそうになりますが、「ソーニャ変な格好で固まっちゃったなー」とか話しかけながら、ダンボールに移動させ、お花とご飯を一緒に入れてあげます。

予定時間ピッタシに業者の方がいらっしゃいました。
喪服に見えなくもないギリギリのスーツ姿で、その辺りも近隣に配慮して、ということのようでした。
ペットの火葬業者には色々な種類があるみたいで、僕が選んだのは火葬する窯を積んだ車で家まで来てくれる業者さんにしました。火葬場は数もあまり多くなく、予約も結構混雑しているようでしたし、ろくすっぽ寝てない状態で自分で運転して行くのも危ないし、なんかタクシーとかに乗るのも申し訳ないし、、ということで来てもらうかたちで。

ウチの近くは比較的コインパーキングが多いのですが、その中でも人通りなどが少ないコインパーキングの一番目立たない奥に普通の白いバンを停めてあり、そこまでソーニャが入ったダンボールを業者さんと持っていきます。窯に入れるときが最後のお別れでもあるので、ひと目を気にせずお別れできる場所を選んでくれている配慮に驚きでした。

また移動する時はダンボールでくるむというのも、確かにご近所さん的に嫌な印象を出しても申し訳ないので、ダンボールでカバーするといいですよ、と紹介してくれた業者さんの言う通りでした。

車の後部ドアを開けると、小さなサイズですがしっかりとした窯が設置されており、新品の真っ白な台座(?)が出ていました。
ソーニャをそこに寝かせて、最後のお別れをしました。
「いつになるかわからないけど、またね。向こう行ったらまた一緒暮らそうね」

最後は笑顔で別れることができました。
業者の方は人間の火葬と全く同じように、数珠を持って丁寧なお祈りをして窯の蓋をゆっくりと閉め、「それではこれから荼毘に付させていただきます」と告げ、僕は一度自宅に戻りました。
移動火葬車は煙が出るので、火葬する時は郊外に出て火葬をして、また戻ってきてお骨上げをする仕組みなのです。

2時間ほどして、先程と同じコインパーキングに向かいます。
釜が開くと、本当にキレイに骨が並んでいました。寝かせた時と同じ姿勢で。
また人間と同じように、業者の方がお骨の説明をしてくださり、足元から骨を入れていきます。
最後に喉仏と頭蓋骨を入れるのも同じ手順なようです。
この辺りになるとすっかり僕も落ち着いてたので、「でも猫四足歩行だし、人間と同じ姿勢でお骨入れるのかー」とか関心する余裕も出てきました。
で、お骨用の長いお箸(当然これも新品)を使って入れていくのですが、「…これ結構時間がかかる。。」と思い始める僕。元々そこまで箸上手ではないので、拾い上げていくのに時間がかかります。「ソーニャ骨キレイに残しすぎだよ 笑」と心で何故か嬉しく思いながらも、さすがに真冬の屋外で15分以上もやっているので辛くなってきます。
この辺りの絶妙なタイミングで業者の方が「差し支えなければ私の方でもお手伝いさせていただいてもよろしいでしょうか」とお声がけしてくださいます。いや、ホント絶妙なタイミングで、急かそうとしている感じでもなく、ほんとにこちらが辛くなったのがわかったかのように。
そして業者の方の丁寧さにまた驚き。決して雑じゃなく、一つ一つのお骨を拾ってくださってるのですが、スピード早い。。寒くて指かじかむくらいなのに丁寧に落としたり掴み損なうこともなく、残ったお骨を拾っていただきました。
真っ白な焼き台の上では小さな骨は目を凝らさないとわからないくらいに散っているものもあるのですが、最後までかがみ込んで目線を変えたりして、小さな小さな骨まで拾っていただき、しっかりとホウキで粉まで集めて納骨していただきました。
こちらもとても良い業者さんを見つけることができて何よりでした。

翌週になりお世話になった動物病院の先生にお礼のご挨拶に伺いました。よくよく考えれば、いい歳したおっさんが号泣してる姿を皆さんに見守っていただいたことも気恥ずかしくなって、簡単な手土産をもってうかがいました。

先生は少しお話するお時間を取っていただき、ソーニャがどれだけ頑張ったかという話をいろいろとしていただきました。先生に言われたお話で印象に残っていることがあります。

「今一番辛くて悲しい時だとは思うのですが、一緒にいて嬉しかったことや楽しかったことも一緒に忘れずに考えてあげて、またいつの日か新しい家族を迎えてあげていただけたらと思います。『死んじゃうと悲しい』と思われるのは当然なのですが、ペットを家族として生活する、ということは素晴らしいことだと思いますので、『別れる時に悲しい』というだけでペットと生活する、ということを忘れないでもらえると嬉しいです」

最後の最後まで、本当に優しい先生でした。

それから少しずつソーニャの荷物を捨てていきました。
ウチに来た時から気に入って使ってくれてたトイレ。買ったその日から、旅立つ直前まで寝場所としても活用していたキャットタワー。自動給水器。自動給餌機は会社の後輩が欲しがっていたので譲りました。他にも気に入っていた猫ベットなど。
ずっと使っていたごはん皿だけは今でもなんとなく取っています。

そこから仕事が目まぐるしく忙しかったこともあって、いわゆるペットロスはあまり感じずに済みました。また数日家を空けることも今では気にせずできるようになったことも不思議な感覚です。

お骨だけは1年経った今でも、部屋の一角に写真と共に居てもらっています。いろいろとペット霊園なども探したのですが、どうにもいいところが見つからず。
そのうち折を見て、実家のお墓にそっと入れさせてもらおうと思っています。
今は母方の爺さんしか入っていないお墓ですが、いずれ両親や僕もそこに入ることになる可能性が高いので。それにソーニャがいれば、お墓参りに行く回数も増えそうですから。

今思っても辛い3ヶ月

ソーニャの悪性リンパ腫が見つかってから、火葬してもらうまでで、お金の話でいえば70万円近くがかかりました。毎週の通院に入院、交通費なども含めてお金はどんどんと減っていきました。
あいにくソーニャは老猫だったこともあって、手術については当初から考えられてなかったのですが、これが手術をしていたらさらに金額は大きくなっていたと思います。
お金が厳しくて辛いとは思わなかったのですが、亡くなる直前くらいは入院も続いてしまったので、このままだと100万円超えてしまうのか、、と思ってしまったこともありました。
飼い主思いだったソーニャは、そんな思いも見計らってくれたんじゃないかな、なんて都合よく思えたりもします。
今でもたまに通院するたびに採血していた記録を見ては、最後の三ヶ月を必死に生き抜いたソーニャの頑張りが見て取れるようで泣けてきます。
獣医の先生に言われたとおりに、もしまた次の子を迎えることがあった場合には、何かあった時のお金で困らないように、しっかりと蓄えてから迎えなきゃな、と感じたりもします。最もまだ、また猫と暮らしたい、という気持ちにはなれていないのが正直なところです。

猫と暮らすということ

さて、ソーニャが旅立ってもう1年経つのに、未だに酔っ払って家に帰ってきた時に、自宅のドアを開ける時にゆっくりになったり、窓を開けっ放しで何かをしている時に「いけない!」と思ってしまったりと、15年一緒に暮らした習慣は抜けきれていません。

1周忌の命日の亡くなった時間くらいは家でお骨の前で一緒に過ごしたかったのですが、直前に風邪で2日も仕事を休んでしまったので、当日は残業で遅くなり、仕事中に黙祷をして、家に帰ってからお花を供えて質素な一周忌をしました。

ソーニャが亡くなって溶連菌に感染したり腎臓がおかしくなった時には、高熱で浮かされながら「ソーニャが寂しがって迎えに来てるのか?」とか馬鹿なことも考えてしまったりしましたが、熱が引いたあとは「ソーニャも最後の最後まで苦しい治療に耐えて頑張ってくれたのだから、自分がもしガンや何かになった時はソーニャと同じように頑張らなきゃ申し訳ない」と思えたことと、「ソーニャがいてくれたから厄災を払ってくれていたのかも」と、幸福の招き猫だったんだろうなぁと、改めてお線香をあげる毎日です。

ペットってどういう関係なんだろう?と今でもたまに考えます。
毎日一緒に寝てくれたり、自分が落ち込んでる時は、それがわかるのかいつもよりも近くに寄ってきてくれたり。
15年いてどれだけわかり合えてたのか、未だにまったくわかりません。
その辺りを考えてしまうと、やはり最後の病気をもっと早く気付いてあげられなかった後悔を感じてしまうので。

それでも、16年前のあの時に、貰い受ける気持ちになれた自分は正しかったし、どれだけこの16年間元気をもらえてたか、またこの先も元気をもらえるかと思えば感謝しかありません。

あまり良い飼い主じゃなかったかもしれなくてごめんね。
またいつか向こうに行ったら、一緒に遊ぼうね。